10月30日野火止用水保全対策協議会研修会で、野火止用水の視察に行ってきました。

萌芽更新の様子。幹を長めに残して切ってあります。地面ぎりぎりで切るより芽が出やすいそうです。

 午後1時に新座市運動公園に集合し4時までの3時間散策をしながら、新座市の学芸員欺波先生に、野火止用水の歴史、現状、課題などのおはなしを伺いました。運動公園脇の雑木林では、国木田独歩が書いた武蔵野の雑木林を再現する取り組みが行われていました。大きくなりすぎた木を明治時代そこにあったであろう大きさ(幹の根元を薪にしたときに4つ割で使えるくらいの太さ)にしようと、萌芽更新の実験が行われていました。武蔵野の林は周辺の農家が薪や農具、建築材として利用するために管理されていた林であるため、伐採することが当たり前に行われていたようです。
 野火止用水は1665年に作られ、全長約24キロ。小平分水場から埼玉県志木市新河岸川に流れています。24キロもの用水路を40日の短期間で完成させたこと、高さの工夫のために土手に用水路をつくる必要があり、城郭をつくるとても難しい技術が使われたことなどの興味深いお話を聞きました。

用水の護岸。樹脂で加工した丸太のほか、玉石積みの場所もあります。

 1964年関東地方が干ばつに見舞われ、それまで多摩川から分水されていた水が止められました。その後清流対策事業を実施し1987年野火止用水を復活させました。現在は昭島市で処理された水が流れています。景観を大切にしつつ流れを保つために、玉石積みの護岸、樹脂加工された丸太を使った護岸を行っていますが、費用がかさむため、小平で行っているような丸太と板を使った方法を検討していること。昔のように多摩川の水を流してほしいと要望していることなども伺いました。
 運動公園から歩いて平林寺に向かいました。途中で野火止という地名表示があり、斯波先生に尋ねたところ、「のび」というのは原野、原っぱという意味で、「のびとめ」はそれが終わるところ、ここからは集落が始まるという意味だと教えてくださいました。私はてっきり野の火事を止めるために作ったものだとばかり思っていましたが、違うそうです。

平林寺の山門。ここをくぐると解脱できるそうです。

 平林寺は由緒正しい臨済宗の禅寺で、今も3年間の修行が行われているそうです。雲水さんたちは午前3時に起きて修行をし、日没の時間には鐘をつくそうです。かつて近所の子どもたちは鐘の音を聞いて家路についていたとのお話でした。今は帰宅を促す放送と、鐘の音、両方が時を知らせているそうです。また、平林寺の紅葉はとても美しく、今年の見ごろは11月25日頃とのことでした。是非訪れて日没の鐘を聞いてみたいと思いました。
 帰りに小平市の担当の方に「なぜ、野火止用水に多摩川の水を流すのが難しいのか」と尋ねたところ、東京都が決めることなのでよくわからないが、多摩川の水量が減っていることが関係しているかもしれないとのお答えに、とても驚きました。これは調べてみなきゃ・・。またご報告します。